Connorがソロで参加しているアルバム


@「The Complete Anthems and Services−9」
 Connorがソリストとして参加しているCDを録音年代順に紹介していきます。

 「The Complete Anthems and Services−9」はHENRY PURCELL(ヘンリー・パーセル:17世紀のイギリスの作曲家。自身も聖歌隊員の経験があり、ウェストミンスター寺院のオルガン奏者なども務めている)作曲のAnthem集です。ROBERT KING指揮のTHE KING'S CONSORT(キングス・コンソート:1980年設立のイギリスの古学演奏団体)とTHE CHOIR OF THE KING'S CONSORT(キングス・コンソート聖歌隊)の演奏によるもので、Connorはこの聖歌隊にトレブルとして参加しています。
 聖歌隊はトレブル、カウンターテナー、テノール、バスの4パートから成っており、特にトレブルはウェストミンスターやソールズベリー、ウィンチェスターなどイギリスを代表する聖歌隊から集められています(全部で18人!そのうちソロを歌っているのは5人)。ちなみにセントポールからはConnorの他に2名参加しています。

 録音は1993年7月〜8月、1994年1月となっています。Connorは若干10歳4ヶ月(わずか10歳で、イギリスが世界に誇る合奏団の聖歌隊員に選ばれたのはさすがです!)。しかもConnorのコンサートデビューはそのわずか1ヶ月前、The London Spitalfields Festivalでパーセル作曲の歌劇“Dido and Aeneas(ディドとエネアス)”を歌ったときでした。Connorはパーセルと縁が深いようですね。
 Connorが初めてレコーディングに参加したアルバムということになると思いますが、やはり円熟期に比べると幼さがあってかわいらしく、瑞々しい声です。曲は全部で10曲です。

  
第3曲目:「Blessed is he whose unrighteousness is forgiven」(Connorのソロあり)

 この第3曲目ではConnorの他にもう1人のトレブルEamonn O'dwyer、カウンターテナー1人、テノール2人、バス1人がソロを担当しています。EamonnConnorの声に比べるとかなりメゾ寄りに聞こえるので(実際この曲ではメゾを担当していますが)、2人のハーモニーがより効果的に聞こえます。
 曲は途中からバス、テノール、カウンターテナー、トレブルの順にソロが出てきて、テノールはカウンターテナーも含めたハモリ、トレブルは二重唱になっています。その後他のパートが次々と加わって掛け合いとなり、きれいなハーモニーを聞かせています。この曲だけではなく、このアルバムの聴かせどころの1つ、ソロ・合唱の各パートの掛け合いはかなり絶妙です。

 また、この曲は6人のソロとなっているわけですが、その中でもやはりConnorの声は光っていますねぇ。声はまだ幼いけど、Connorの声の輝きは生まれつきのようです(笑)。成人男声の声の中で、
夜の闇が明けて朝の光が差し込んでくるような、Connorの輝かしい明るい声が光っている曲です。Connorがソロで参加しているアルバムの曲の中では、「Angenehmes Mordgeschrei!」の次に好きな曲です。
 残念ながらConnorのソロはこの第3曲目のみですが、その他の曲は合唱で参加していて、Connorの伸びやかな声を聴くことができます。

 実は今回この記事を書くまで、この曲がパーセル作曲だということを知らずに聴いていました(--;)この曲だけではなく、とにかくConnorの声のみに集中していたので作曲家のことを気にかけずに聴いていたのです。
 でも今回をきっかけに、他のアルバムの作曲者を見てみると、私がいいなあと思った曲はパーセル作曲のものが多いことに気付きました。パーセルの曲を聴くと、何だか心が洗われるような感じがします。
 作曲家について調べてみると、けっこう興味深いことが書かれていることが多いです。これからはConnorの声だけではなく、作曲家や曲の書かれた背景のことなども気に留めて曲を聴いてみようかなと思いました



A「Joseph and his Brethren(HANDEL)

 次に紹介するのは、ヘンデル作曲のオラトリオ「Joseph and his Brethren(ヨセフとその兄弟)」です。
 オラトリオは宗教的な題材をもとに、独唱・合唱・管弦楽から構成される大規模な楽曲のことで、オペラと違うのは演技を伴わないことです。
 
 「ヨセフとその兄弟」は旧約聖書の中の物語です。ヨセフの10人の兄たちが、父ヤコブに特にかわいがられたヨセフを妬み、彼を奴隷としてエジプトに売りとばしてしまいます。獄中生活を送るなどヨセフは苦労しながらも、やがてエジプトの宰相となります。
 大飢きんのため、食料を求めて10人の兄たちはエジプトを訪れヨセフと再会しますが、それがヨセフだとは気付きません。また、そのとき父ヤコブは、末の弟ベンジャミンだけを家に残しました。ヨセフは兄たちに「あなた方は回し者だ。もしそうでないなら兄弟を一人置いて穀物を持って帰り、かわりに末の弟を連れて来なさい。」と言い渡します。
 ヤコブはベンジャミンをとてもかわいがっていたので、なかなか承知しませんでしたが、兄たちの説得によりベンジャミンを行かせます。ヨセフは母が同じベンジャミンを見て懐かしさがこみ上げ、涙を流します。
 結果的にはヨセフは兄たちを許し、父ヤコブとも涙の再会を果たします。物語はもっともっと複雑ですが、簡単に説明するとこんなところです。

 さて、曲についてですが、このアルバムもTHE KING'S CONSORT(「The Complete Anthems and Services−9」参照)の演奏です。Connorは末の弟ベンジャミン役でトレブルとして参加しています。トレブルの他にはソプラノ、カウンターテナー(アルトの場合もある)、メゾソプラノ、テノール、バスがそれぞれソロを担当しています。
 録音は1996年3月で、Connorはちょうど13歳になった頃です。CDは3枚組で全曲合わせると72曲に及びます。そのうちConnorがソロ(オペラで言うアリア)を歌っているのは2曲のみで、その他3〜4回ほどセリフで登場します。

     
CD2:第23曲目「ベンジャミンのアリア」
     CD3:第11曲目「ベンジャミンのアリア」


 出番は少ないですが、ベンジャミンはヨセフと10人の兄たち、そして父ヤコブを和解させ最後には家族全員に幸福をもたらすきっかけとなる重要な役柄です。もちろんベンジャミンは子ども役なので、大人の声楽家の中でConnorの声はひと際かわいらしく、また、父親にかわいがられて育った純粋無垢で無邪気なイメージが、Connorの透明感あふれるピュアな声にピッタリです。ヨセフの前で切々と訴えるように、心を打つような歌い方、落ち着いた声色もさすがです。

 さて、上記ではConnorが登場する2曲のアリアのみを紹介しましたが、実はアリア以外にもConnorの歌唱力の高さが際立つ場面があります。正確に言いますと、Connorは第2幕のシーン7(一番最後)と、第3幕のシーン4に登場します。アリア以外の登場は他の役とのやりとりをする場面なので、アリアほど長くは歌いませんが、アリアの他に4トラック出てきます。


 特に素晴らしい歌唱力を見せているのは、第3幕のシーン4の方。宗教用語的なセリフが多くて、この時間のない中正しく訳すことができなくて申し訳ありませんが、ベンジャミン(Connorが演じている役)が兄たちに“the sacred cup”を盗んだと疑われ捕えられようとする場面です。ベンジャミンは「僕を息子と呼んで抱きしめてくれたときのことを思い出して」と、嘆き悲しみながら(おそらく父に向かって)切々と歌います。
 この、嘆き悲しみながら切々と歌う様子が、実に素晴らしいのです!“I still as much deserve the name”という歌詞が何度か出てきます。“I”から“still”に行くときに音が高くなるのですが、その“still”の少しかすれたような高音の発声の仕方が絶妙で(「How can…」の“ringig”の発声の仕方に似てるかも?)、うっとりと聞き惚れてしまうほどです(笑)。

 先ほども書きましたが、本当にConnorの声は大人の声楽家の中でひと際かわいらしく目立ち、純粋無垢で無邪気な感じの、透明感あふれるピュアな声が、アリア以外の曲でも輝いています。切々と訴える心を打つような歌い方など、Connorの表現力の高さが、むしろアリア以外の短い歌唱の中で生かされているとも言えます。

 72曲中Connorが登場するのはたった数曲しかなく、しかもけっこう値段が高かったので、最初は買うか迷って決断するまでにけっこう時間がかかりました。結局はConnorCDは全て集めることにしたので、買ってしまいましたが(笑)。でも、ヘンデルも好きな作曲家の1人だし、Connorの表現力の高さを味わえる1枚なので買って良かったと思います。
 


B「Markus Passion

 「Markus Passion」は、J.S.BACH作曲の「マルコ受難曲」のことです。バッハは生涯で5つの受難曲を作曲したと伝えられていますが、完全な形で現在に伝わっているのはマタイ・ヨハネの2曲のみで、マルコは音楽が失われて歌詞のみ残っているそうです。
 そのため、マルコを何とか復元しようと試み、既存のバッハの作品からそれに合う旋律を借りて再編し、現在ではいくつかの版や録音が存在するとのことです。

 ここで紹介するマルコ受難曲は、サイモン・ヘイズ復元版で、ロイ・グッドマン指揮・フィンランド・リング・アンサンブル、ヨーロッパ・ユニオン・バロックオーケストラの録音となっています。
 マルコ受難曲はマタイやヨハネと比べると、レチタティーヴォ(叙述や会話の部分に用いられる朗読調の歌唱)の他はコラール(ドイツのルター派教会で用いられる賛美歌)が多く、アリア(叙情的・旋律的な独唱曲)や合唱曲が少なくなっています。
 曲は2DISC、全46曲から成っており、そのうち下記の2曲のアリアをConnorTreble(トレブル:最高声域を担当する歌手)として歌っています。

   CD1:第17曲目 「Er kommt, er kommt, er ist vorhanden!
   CD2:第11曲目 「Angenehmes Mordgeschrei!


 歌詞はドイツ語です。ドイツ歌曲の場合、イタリア語やラテン語と違って、1つの音符に1つの単語がまるまる入っている…なんてことがよくあります。つまり、よく口を回して素早くかつ正確に発音しなければなりません。
 この曲に限ったことではありませんが、16分音符など素早く音を変化させなければいけない場合、歌詞に「h」を入れて歌います(これも私自身が習ったことです)。例えば、「schrei」は「シュライ」と発音しますが、メロディーが「シュラアアーイ」となっている場合、「シュラハハーイ」と発音します。もちろん、必ずそうしなければいけないわけではありませんが、そうした方が格段に歌いやすくなることが多いです。
 Connorは正確にドイツ語の発音をしていますし(相当練習したのでしょう!)、この「h」唱法(私が勝手に名付けました。笑)も効果的に使っています。2曲ともConnorの中では数少ない、テンポが速く歌詞をよくしゃべる(?)曲で、Connorの歌唱テクニックが存分に発揮できています。
 
 また、「Er kommt, er kommt, er ist vorhanden!」の曲の特徴としては、Connorは曲中でかなり声のトーンを変えながら歌っています。曲が短調なので、真に迫ったような緊迫した声色かと思えば、音が上がったときにはConnor独特の明るい輝く声にしてみたり…。残念ながら歌詞カードがないので歌詞の内容はわかりませんが、きっとConnorは歌詞の意味とメロディーをうまく融合させて、音色を変えていたのでしょう。さすがコナー?!

 実は「Angenehmes Mordgeschrei!」の方は、私が「benedictus」の次におススメする曲です。なぜなら、今までお伝えしてきた
Connorの歌唱テクニックの全て(@光り輝く明るい声、Aクレッシェンド+ビブラート効果(この曲では、音を伸ばす部分でかなり使われています)、B「h」唱法、C素早いメロディーへの歌詞の乗せ方、D言うまでもなく伸びやかな高音)が詰まった曲、しかもそれを顕著に聴ける曲だからです。曲調は軽い感じのテンポの良い曲で、Connorが楽しそうに歌っているのが想像できます。まだ聴いたことのない方、この曲は本当におススメです。ぜひ聴いてみてください!


C「MARTIN'S LIE(MENOTTI

1783_Martin.jpg メノッティ作曲の教会オペラ、「MARTIN'S LIE(マーティンの嘘)」です。メノッティは1911年イタリア生まれですが、オペラ作曲家・脚本作家としてアメリカで活躍し、ほとんどの彼のオペラ作品は英語で書かれているそうです。この「マーティンの嘘」も英語の歌詞です。彼は2007年2月に亡くなったと知って、つい最近のことだったので驚きました。
 もともとCBSテレビの依頼で作られたそうですが、初演は1964年6月3日、Bristol Cathedralでということです。その後録音はされず、このCDが初のレコーディング作品ということになります(ジャケットに“premiere recording”と書いています)。このCDの録音は199611月となっています。

 物語の主な登場人物はStranger(バリトン)、マーティン(トレブル)、コルネリウス神父(テノール)、保安官(バス)、ナニンガ(メゾソプラノ)で、他に数回セリフのあるトレブルが4人出てきます。Connorはマーティンの役です。
 物語は14世紀の出来事で、ある孤児院の台所が舞台。ネズミから食器棚を守るために、順番で1人ずつ台所で寝ることになっており、その日はマーティンが寝ることになります。
 そこへ「開けてくれ!」とドアを大きくノックする音が聞こえ、マーティンはドアを開けます。見知らぬ男(Stranger)が入ってきて、「自分をかくまい、そして逃亡の手助けをしてほしい。捕まったら殺される。」と言います。マーティンがなぜ殺されるのか尋ねると、「自分自身の方法で神に祈っているから」と答えます。マーティンは彼を異教徒だと確信し、追い出そうとします。
 しかし男は「神が君を救い主として指名したのだ」と言い、マーティンは「僕が待っていたのはあなたではなく父だ」と言います。すると男は「自分が父親になれないか」と尋ねます。最初は「あなたは父親ではない」と取り合わなかったマーティンですが、男に「なぜ息子を必要としない父親を待つのか?私以上に息子を必要としている人はいない、お願いだからマーティン私を助けてくれ、神の名において私の息子になってほしい。」と訴えられ、ついにマーティンは「Yes, father.」と答えます。
 そしてマーティンは男を地下貯蔵室に隠し、今日あったことは誰にも話さないと約束します。そこへ再びドアをたたく音がして、保安官が男を追ってやって来ます。保安官は男をかくまっていないかと尋ねますが、マーティンは誰も見ていないと答えます。騒ぎにコルネリウス神父とナニンガ(孤児たちの世話をする女性)も起きてきて、何が起こったのか尋ねます。保安官は「おまえたちがかくまっている男は、異教徒であり反逆者である。王は彼を捕まえて拷問し、ただちに打ち首にしろと命じた。」と答えます。
 神父は、「ここには見知らぬ者はいない」と答えます。しかし保安官に「近所の人が、彼がドアをノックし、そのドアが開けられたのを見ていた。」と言われ、マーティンに誰かを中に入れたのか尋ねます。マーティンは「誰も入れていない。嘘はついていない。」と言い張ります。神父は2人だけでマーティンを説得しようとします。マーティンは男をかくまっていることは認めましたが、それは自分の父親だと主張します。神父は「彼はおまえの憐れみを誘って、父親のふりをしているだけだ。彼は詐欺師で悪魔の崇拝者、我々の敵だ。」と言って諭そうとしますが、マーティンは自分に父親を持たせてほしいと言って聞きません。マーティンと仲の良いクリストファーにも説得させますが、それも聞きません。
 業を煮やした保安官は、これ以上マーティンが真実を話さないなら、この焼きごてで目を焼くぞと脅します。それでもマーティンは話しません。保安官は、焼きごてを持った死刑執行人に、一歩彼に近づくように命じます。マーティンは「お父さん助けて!」と泣き叫びながら、床に倒れ込んでしまいます。
 マーティンに駆け寄った神父は、もう彼が息をしていないことに気付きます。そして「彼はおまえの父親だよ。」と声をかけます。なぜそんな嘘をつくのかと保安官に尋ねられ、「嘘は小さなことにすぎない。私は愛はどんな罪にも勝るということを学んだ。」と答えます。教会の鐘が鳴り響く中、神父はマーティンを抱いて外に運び、それにナニンガ、子どもたち、そして兵士たちが続いていき、最後に神父とナニンガ、子どもたちが聖歌を歌って終わります。

 ・・・簡単にあらすじを書くつもりが、こんなに長くなってしまいました。これでもかなり省いているのですが…。オペラ自体は4344秒と普通のオペラに比べたら短いです。
 この作品の中にはアリアはなく(長めの歌唱はありますが)、ほとんどがセリフを言うレチタティーヴォのようになっています。しかもそのセリフも短いものばかりで、回転が速いです。それゆえ、この作品では歌唱テクニックというよりも、どちらかというと演技性の方を楽しみながら聴くことができると思います。演技性と言っても、実際に演技しているところを見られるわけではありませんが、Connorは声の強弱やトーンを工夫しており、耳で聴くだけでもその場面が思い浮かぶようで、演技性にも優れていたんだなあと改めて感心しました。
 例えば・・・「今日はマーティンが台所で寝る番だ」と言われたとき、何日か前もそうだったから、今日は自分ではないと言います。でも他の子どもたちに「怖いんだ怖いんだ!」と言われて、むきになって「I'm not afraid.」と言うところがとてもかわいいです。
 次に男に「お母さんは僕を産んだときに亡くなった。でもお父さんが誰なのか誰も知らない。きっとどこかで生きていて、いつか僕を連れに来てくれる。」と自分の身の上を語るときは、歌う速さと声のトーンを落とし、悲しい寂しげな様子が目に浮かびます。
 また、神父に「お父さんを持たせてほしい」と言ったとき、神父は「私はおまえにとって父親ではなかったのか?」と尋ねます。マーティンは「違う!あなたはいつもおやすみのキスをしてくれるわけではないし、僕が泣いている時に何が悲しいのかいつも聞いてくれるわけではない。去年の夏火事が起こったとき、あなたが一番最初に守ろうとしたのは僕ではなかった。僕は、自分のお父さんの心の中で一番になりたいんだ。」と訴える場面では、本当に切なく儚げに歌い上げています。聴いているこちらも切なくなってきます。

 また、マーティンのセリフではそれほどの高音は出てきませんが、やはりConnorの澄んだ伸びやかな声が際立っています。特に発音がはっきりとして一つ一つの単語が聴き取りやすく、クリアで明るい声質が純粋無垢なマーティンの役柄にピッタリです。高音ではなく、逆にあまり聖歌隊では出さないような低音も出てきますが、安定した声ではっきりと歌い上げています。アクセントのつけ方も絶妙で、ナチュラルビブラートのかかったクリアな声で、しっかりと想いをアピールしています。
 少年合唱の部分は、Tees Valley Boys' Choirが担当しています。マーティン以外の4人の子どもたちも、この合唱団員が歌っているのでしょうか。合唱もソロも、硬質な声ではなくどちらかというと幼いかわいらしい声という印象が強いです。Connorの声も別の意味でかわいらしいのですが(笑)、やはりその中でConnorの声は存在感があり目立っています。

 このようなタイプのオペラを聴いたのは初めてでした。英語のオペラを聴いたのも初めてです。曲調も、最初から最後まで緊迫し、暗い霧がかかり常に影があるようなそんなイメージです。
 このアルバムには、「Martin's Lie」の他に「Five Songs」と「Canti della lontananza」というテノール、ソプラノの曲も収録されています。Connorは歌っていないので、例によってあまり聴いていませんが…(--;)
 世界初演CDということで、興味のある方、Connorのまた違った優れた歌唱力を堪能したい方は、ぜひ聴いてみてください!



  

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