passggio(パッサージョ)


 まずは「passaggio」(パッサージョ)を紹介します。音楽用語辞典には、“声楽 (ベル・カント唱法)で、低音から高音に上がっていく際に声質が変わる位置。特に最高音域に達するとき発声音域が切り替わるところ。パッサージョの上の音を acuto (アキュート)という。”と書いてあります。
 私が先生に教わったのは、だいたいpassaggioはソプラノで言うと上のミ・ファ(E5F5)のあたりで起こるとのことでした。(もちろん個人差はあります)ここを乗り越えれば、それより上の音、つまりacutoは自然と出しやすくなり、逆に言えばpassaggioを乗り越えないと、acuteは出せないのです。
 私も声楽を習い始めた頃、今までと全然発声法が変わり、上のレ(D5)までは楽に出せたのですが、どうしてもE5になると急に出せなくなり、弱々しいかすれたような声になってしまったのです。たった1つしか音は違わないのに、なぜ!?と苦しんだものです。そのときに、先生がpassaggioのことを教えてくださり、誰でもこの辺りの音が境界線となり、乗り越えるのに苦しむのよ、と言ってくれたのを覚えています。

 実はpassagioを乗り越えなくても、acuteは出すことができます。でも、それはpassaggioまでの発声法とは異なり、全く違った声質の歌声になってしまうのです。よく、小学生や中学生の合唱を聴いていると、地声で元気よく歌っていたのに、高い音になると急に弱々しい裏声になってしまい、明らかに声質が変わったのがわかることがあります。これでは合唱としてきれいには聞こえません。歌っている最中に声質が変わると、聴いている人にとってはとても違和感を感じます。

 そこで、先ほどのpassaggioの意味に戻りますが、“低音から高音に上がっていく際に声質が変わる位置”とあるように、どうしても高音になると今までと多少声質は変わってしまいます。でも、それが発声法まで変わってしまったり、あるいはものすごく力んだ声になったり、きれいではあるけど明らかに全然違う声になったりするのは、優れた歌唱とは言えません。
 名前は出しませんが、CDも出しているある少年も、高音がとてもきれいなのですが、中音域と明らかに声質が違います。急に音程が上がったり下がったりするところでは、一目(聴?)瞭然です。発声法を変えているのかなーと聴くたびに不思議に思っています。また、声質は変わらないのですが、高音になるとものすごく力んで音が割れそう…というボーイもいます。

 高音になっても、声質の変化が自然で、聴いていて違和感がないこと・・・とても難しいことですが、Connorはサラリとやってのけているのです!!
 例えば、私の大好きなグノーの「Benedictus」。記事でも紹介しましたが、曲の中でも特に大好きなクライマックス(約2分43秒のところ)の、「venit in」でB4からG5に音が上がるところ。間にpassaggioが入りますが、いきなり高音になるにもかかわらず、声質は全く変わらずごく自然に高音を出しています。(おまけにビブラートもきかせながら!!)さすがConnorです。
 実はConnorのソロ曲には、女声ソプラノが歌うようなものすごい高音は出てきません。(セントポールの合唱曲の方が高音が出てくる!)だいたいG5くらいまでの曲が多いですが、中音域から高音域までほとんど変わらない声質で自然に声を出しています。

 もし興味がありましたら、ぜひご自分でドから順番に発声してみてください。声質が変わるところ、急に出しづらくなる音がありませんか?それがpassaggioです!!
 passaggioを自然にこなして歌っているのは、もちろんConnorだけではありません。今度ボーイのCDを聴くとき、ちょっとだけpassaggioのことを意識して聴いてもらえると嬉しいです

 注)ここで取り上げていることはあくまでも一般的な場合であり、passaggioの位置はもちろん個人差があります。



  

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